
ヒュッゲ 曖昧だけど、なんかいい言葉
一般的に知られるようになった「Hygge(ヒュッゲ)」
国連が毎年行っているWorld Happiness Reportにて北欧の国デンマークが2013年、2014年と幸せな国として世界一と評価されてからデンマーク人のライフスタイルである「ヒュッゲ」という言葉が注目されました。
「ヒュッゲ」は日本語の単語で訳すことは難しく「なんとなく心地いい雰囲気」、「なんどなく心地いい時間」、「なんとなく心地いい繫がり」などなど、単なる一単語に留まらないデンマーク人の大切な価値観やマインド・過ごし方を表現した形容詞でです。
「これがヒュッゲだ」という明確な定義はなく「これもヒュッゲ」「それもヒュッゲ」「あれもヒュッゲ」など、すごく曖昧な形容詞です。
曖昧なのにどこかいい言葉に感じられませんか?
曖昧な感覚をあえて定義づけせずに、心理的な価値をつけること。
大切なことだと思います。
曖昧ということは、自由だということ
今、日本だけでなく世界中でDX(デジタルトランスフォーメーション)が話題になり何でも論理的にハッキリさせる傾向があるのではと感じています。
でも私たちのまわりには曖昧なものだらけです。
特に人の心は、環境や時間によって変化し、千差万別で、全く同じなんてありません。
それなのに画一的に決めつけてしまう風潮にあるのではないかと不安に感じています。
それが昨今のSNSの問題につながっているような気もします。
「ヒュッゲ」はそんな風潮に対し「ちょっとちがうよ」って言っているような気がします。
曖昧な文化は多様性を生み出す
「ヒュッゲ」のような曖昧な言葉は、たくさんあります。
例えば同じ北欧スウェーデンの「ラーゴム (lagom)」。
「多すぎず少なすぎず、ちょうどよい」という形容詞です。適度で節度あることがいいという考え方で、この言葉にも明確な定義はありません。
日本では京都の「はんなり」。
「上品で落ち着きがあり、明るさ、華やかさ、陽気さも併せ持つさま」と広辞苑では説明していますがこれも京都の人々の文化的感覚であり、明確な定義はありません。
ずっと昔から日本はヒュッゲやラーゴムのような”曖昧なよさ”を持っていたことを改めて思いました。
これからは多様性の時代です。オリンピックでも多様性とういう言葉は何回も表現されています。
その多様性に対し、このような曖昧な形容詞は必要になってくると「ソトニアル」は考えています。
「価値感は決めつけず、曖昧にして、それぞれ自由に表現する。」
そんな感覚も「ソトニアル」のコンセプトです。